https://x.com/naoya_fujita/status/2001262654678253687
┗注意頂きたいのは、藤田直哉氏が「ネトウヨ」等ではなく、どちらかというと左派リベラルの批評家であるということだ。果たして藤田氏は『BBD』(←映画の方)だけではなく、『Black Box』(←書籍の方)は読んだのだろうか?ツイートだけ読むと、読んでいないような印象を受ける。
私は『BBD』は7月に猫町民某氏による地下上映会(海外で流通している『BBD』のブルーレイの鑑賞会。なので、現在日本で公開されている『BBD』とは一部異なる)で観る機会を得たので、上映会の前に『Black Box』も読んだ。「事件」については(無論伊藤氏の主観でしかないのだが)『Black Box』で十分に語られており、「事件」に関して『BBD』で追加して得られる情報はほぼ無いと言っても良いのではないか。『BBD』で描かれるのは、「事件」の被害にあった伊藤氏がその内容を本(つまり『Black Box』)にまとめ、それを日本内外で出版する過程(心象風景、つまり「日記」)を描いたものだ。
だから、「事件」について知ろうとして『BBD』を観ても、いつ・どこで・何が生じたのかは全く分からないし、藤田氏のツイートを見ると『Black Box』を読まずに『BBD』を観るのは積極的に「害悪」とすら言えるのではないか、と思った。
しかし、まともな形で公開されるなら兎も角、これだけ現在進行形で揉めに揉めている状態(かつて伊藤氏の訴訟を支援してきた人々が『鎌倉殿の13人』ばりに内紛している状態。例えば→https://www.youtube.com/watch?v=eh6dX0TVWW4)では、版元の文藝春秋も「映画公開記念『Black Box』kindle半額セール!」みたいなものはやりにくいだろう(し、実際やっていない)。
個人的には、望月衣塑子氏が言うように『BBD』は観る必要は無い(つまり「公益性」は無いと思っている)が、『Black Box』は広く読まれるべき(つまり「公益性」が有ると思っている)だと考えている。

「音楽」、について

昔(学生の頃)から、「音楽」が苦手だった。何故かというと「音楽」というものの<全体>がよく分からないから。(21世紀初頭に大学に入学した際には、「音楽」に詳しい人が100人いるとしたら、「映画」に詳しい人は10人で、「文学」に詳しい人は1人だ、と周囲を眺めてなんとなく思っていた)
どうやら「音楽」の中には「クラシック」だとか「ジャズ」だとか「ロック」だとかのサブカテゴリ―があるのは分かる。しかし、それらの関係はどうなっているのか?何となく老人は「クラシック」を聞いていて、中年は「ジャズ」を聞いていて、若者は「ロック」を聞いているようなイメージがあるが(先日の小室会ロック特集は、ワイのテーブルだけだったかもしれないが、自分より年上ばかりだったが・・・)、どうしてそうなのか?全く分からない。
例えば「映画」は<全体>が何となく分かる。たかだか100年ちょいの歴史しかないから。「映画」の中にもサブカテゴリ―として、「ドキュメンタリー」だとか「アニメ」だとか、もしくは「サイレント/トーキー」だとか「モノクロ/カラー」だとかに細分化出来るが、小さな違いである。
もちろん「文学」は「映画」に比べると遥かに歴史は長い。しかし過去の文学史家の涙ぐましい努力により、「文学史」というものが整備されており、それによりホメロスから宇佐見りんまで、統一されたパースペクティブで<全体>を見渡すことが出来る。(例えばアウエルバッハの『ミメーシス』ではホメロスからヴァージニア・ウルフまでが一冊の本で論じられ、加藤周一の『日本文学史序説』では古事記から大江健三郎までが一冊の本で論じられる)
無論、「音楽」でも「クラシック」「ジャズ」「ロック」を横断的に採り上げる教科書的な著作が無いでは無いが(例えば→https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784903267395)多ジャンルの固有名詞を散発的に採り上げるに留まっており、多ジャンル間の関係がどうなっているかについては何も語っていない印象を受ける。
私の乏しい読書範囲では、この「音楽」の<全体>について(多ジャンル間の関係について)例外的に概説していたのは、20年程前に読んだ増田聡+谷口文和『音楽未来形』だった。この本の237頁では、「クラシック」「ジャズ」「ロック」「クラブミュージック」間の関係を【楽譜と演奏の間に差異が無いもの:クラシック】【楽譜と演奏の間に差異があるもの:ジャズ】【演奏と録音の間に差異があるもの:ロック】【録音と録音の間に差異があるもの:クラブミュージック】と明快に整理しており、読後20年ほど経つが、この本以上に「音楽」内部のサブカテゴリ―間の関係について、つまり「音楽」<全体>について明確に整理しているものは無いと今でも考えている。

https://x.com/jokyo_from1968/status/1994045198817771577 

┗廣松渉が創刊に関わり、日本で本気を共産主義革命を目指すための媒体であったはずの『情況』だが、創刊から半世紀以上経ち、現在では特定のネット民を全力で煽っていくスタイルの雑誌となったことに涙を禁じ得ない。 この「弱者男性」特集だけではなく、25年夏号の「共同親権」特集、25年春号の実質NHK党特集、24年夏号の「トランスジェンダー」特集(http://jokyo.org)といった、まともな判断力を持つ大人であれば、「あっ、これ安易に触れたらヤベー案件だ」という事象に対して(おそらくヤベー案件であることは分かりつつ)全力で踏み込んでいくZ世代の編集長(https://gendai.media/list/author/shionoyakyosuke)は、同世代の「令和人文主義者」と同様、今後の範型となる一つのスタイルを生み出しているのだな、と思う等。

政権交代に関する覚書

①日本新党について
1993年に55年体制を終わらせ、自民党が結党以来初めて野党となった非自民連立政権だが、その中核となったのは、「近衛の孫」こと細川護熙が設立した日本新党だった。「日本新党」とは何だったか?を2025年現在に説明するとしたら、それは「自民より右」の政党だったということで良いのではないか。少し前の維新みたいな。それは日本新党に所属していた議員を見てみれば明らかになる。
当時の自民党は宮澤喜一が首相であったようにリベラル派が強かったが、一方日本新党の議員は前原誠司・小池百合子・河村たかしである。少し前の愛知県でも名古屋市長の河村に比して、元自民党の知事がリベラル派的に振舞ったように、現在でも「自民より右」の遺伝子はここかしこに見られる。ちなみに枝野幸男も日本新党出身である。
②民主党について
2009年に政権与党となった民主党という政党が、左派/リベラル政党だったかというと、率直に言って個人的には今でもよく分からない。民主党には上記①のように「自民より右」のポジションから出発した議員が多数いたから。日本新党出身者だけではなく、他にも尖閣諸島に上陸した西村眞悟などの極右もいた。
社会運動家から出発した菅直人や辻元清美は兎も角、現在では左派のシンボルとなってしまった枝野も例外ではない。少なくとも2013年の時点では、枝野が改憲論者であることは日本共産党(赤旗)に批判されていたのだ(→ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-09-10/2013091002_02_1.html)。枝野が、ひいては民主党が左派/リベラル政党だということになったのは、2015年頃と比較的新しい事象だと考えられる。(枝野は後記③の立憲民主党結党以降も、自身は「保守」だと答え続けることになるが、日本新党から政治的キャリアを始めた改憲派である自身は「保守」でしかありえないという自己認識は、噓偽りや韜晦したものではないと個人的には考えている)
③安保法制について
2015年に何が生じたのかというと、安保法制が可決されたが、安保法制に関する議論が盛り上がり、その議論は国会内に留まらずSEALDs等の学生団体の社会運動も盛んになった。そして共産党はいうまでもなく、民主党もこれに反対した。しかし民主党が反対するロジックが弱かった。これは左派(というかマルキスト)の白井聡も2021年に指摘していることがだが(→ https://www.youtube.com/watch?v=xFOuZJVPb70 番組41分過ぎ頃から)、安保法制に反対する理路としては、安保法制に対する安倍政権の説明が不足している(これは安倍政権が十分に説明すれば解消する)という論理から、そもそも日米同盟に反対(これは共産党の論理)まで幅があったが、論理を曖昧にした状況で「安保法制に反対」という一点で団結してしまったため、刺激を受けた共産党から「国民連合政府」(→ https://www.jcp.or.jp/web_policy/2015/09/20150919-yobikake.html)の提案をされるようになった。
ここで(もしかしたら初めて)民主党は「左派/リベラル政党」となった。そして左派/リベラル化に反発した細野や長島などが離党し、残っていた枝野・前原も2017年に枝野vs前原の代表選を前原が制した直後に、前原は民進党を解党し小池の希望の党に合流するも、小池がリベラル派を排除するとのことで、枝野を中心としたリベラル派が立憲民主党を結党した(ちなみに前記①のように、小池・前原・枝野の全てが日本新党所属議員だった)。その後、立憲民主党は表に裏に共産党と政治的協力を行う事で(自民党のいう「立憲共産党」)、事実上「国民連合政府」が実現することとなった。
④国民民主党について
従って、国民民主党の玉木雄一郎のいう「憲法違反としてきた平和安全法制の扱いなど安全保障に関する基本認識(中略)など、曖昧にしてきた基本政策」(https://x.com/tamakiyuichiro/status/1976579935075758474)ということを別の観点で言い直せば、2015年の安保法制に対して本当はどんな対応で臨むべきだったのかを立憲民主党は自己総括をせよ、という事になるだろう。そして、自己総括した方が良いだろう。
私には、野党間の意見調整を早急に進めようとしている立憲執行部や政治学者の思惑がよく分からない(こたつぬこ氏は「野党は政権を取りに行かなきゃいけない。それをやらなかったら、権力の空白がうまれ、ポピュリストの思うがままになりますよ。」(https://x.com/sangituyama/status/1976594182417621370)と書いているが、「ポピュリストの思うがまま」とはどういう事態なのだろうか?参政党が躍進するということだろうか?)。次の衆院選も参院選も任期満了までに約3年ある。国会の議席数は、向こう数年はほぼ変わらないのだ。時間はたっぷりある。玉木は昨日(10/10)の国民民主党チャンネルでの配信で、「欧州みたいに場合によっては数か月かけて連立交渉するとか、そういうことをやって(中略)新しい政治文化・政治ルールを作っていくことを提唱したいと思います。」(https://www.youtube.com/watch?v=E-0zifdf9H4 52分30秒過ぎ)と発言していたが、私も同意見で、数か月かけて野党間で意見の調整をすることで何の問題も無いと思う。

先週土曜日のホラー小説入門トークイベントで一番面白かったのは、「リミナルスペース」(https://www.filmart.co.jp/books/978-4-8459-2400-4)に朝宮さんが言及した箇所だった。ホラーものでは「因襲村」等々、人/地域に対する差別的要素が入ってきてしまう。特に「令和のモキュメンタリーホラーもの」では。だから人/地域をいじる要素の無い「リミナルスペース」に可能性があるのではないかと理解した。「令和のモキュメンタリーホラーもの」について倫理的疑念があることは、例えば昨年の「行方不明展」(https://yukuefumei.com)に対して昨年時点で批判がなされていた(→ https://anond.hatelabo.jp/20240718172757)ことからも明らかだろう。
仮に、このような【人/地域をいじる(差別する)要素のあるサブカルチャー】から【差別的要素が脱色されたサブカルチャー】への移動があるとしたら、それは既視感を覚えざるを得ない。90年代の(悪趣味)サブカルチャーを領導した人々、例えば中原昌也は「純文学作家」となり、小山田圭吾は「アンビエント・ミュージシャン」へと移動し、00年代にはそれぞれ差別的要素を脱色していった。そのような脱色が出来なかった人々、例えば青山正明やねこぢるは自殺し、村崎百郎は殺された。
齢をとると何もかもが過去の再演にみえてしまうのも悪い傾向だと思いつつ、眼前に進行している事象が30年前のループだと思ってしまう。30年前どころか、60年前の1960年代の三島由紀夫や小松左京の同時代に対するいら立ちすら遂に理解できてしまう今日この頃である。

会社なり、その他の場所なりで、どこから情報を仕入れているか聞かれることがままある。変なニュースばかり知っているからかと思う。私の情報源の変遷。
◆90年代後半:実家でとっていた朝日新聞を毎日読む勤勉な少年だった。その後の人生で、これほど真面目に新聞を読んだ時期は無かった。(新聞を読むと受験に役立つから読んでいる、等という色気も別に無かった。純粋に大量の情報が掲載されている新聞を読むのが楽しかった)
◆00年代前半:2ch初期。2chから情報を取得すること多し。
◆00年代後半:2chが大衆化し、書き込み量が多く目を通すのに時間がかかるようになったため、2chまとめサイトを見るようになる。(まとめサイトは2chまとめ以外にも役立った。特に2010年代にサラリーマンをやっている際には、朝の通勤電車でスマホで昨夜のテレビ番組の内容をまとめている、まとめサイト(←無論、著作権違反なのですぐにつぶれる)を読むことで、テレビを全く見ていないのに会社で昨夜のテレビ番組の話をすることが出来た)
◆10年代前半:Twitter初期。Twitterから情報を取得すること多し。
◆10年代後半:Twitterが大衆化し、書き込み量が多く目を通すのに時間がかかるようになったため、TogetterやNAVERまとめ等のTwitterまとめサイトを見るようになる。
◆20年代前半:NAVERまとめがつぶれ、イーロンがTwitterを買収したことで、まとめサイトの最前線は動画に移行した(と思う)。現在私が参照しているのは「チー牛速報」(現「速報」。https://www.youtube.com/@sokuhou-)、「かっしーチャンネル」(https://www.youtube.com/@kasiyoutube)、それに「今週の人文ウォッチ」がメインである。
チェンソーマンのアニメ総集編が出来が良いことを教えてくれたのはチー牛速報だったし(https://www.youtube.com/watch?v=ZLXmjPe-epU)、西山ダディダディの元ネタを教えてくれたのはかっしーチャンネルだった(https://www.youtube.com/watch?v=Vj_1b6J1nAw)。外山恒一周辺でサークルクラッシュが生じていること(参照:https://x.com/carteblanche112/status/1964960980108202259)は今週の人文ウォッチ#42(https://www.youtube.com/watch?v=2-ktN9seUO4)を観なければ、気付くことすら出来なかっただろう。
全てがまともな人生へ至るには全く役立たない無駄知識なのだが。。(テレビ番組まとめサイトは例外)

『どうすればよかったか?』、まずタイトルが良い。統合失調症の家族をテーマにしたドキュメンタリー作品であり、『どうすればよかったか?』というタイトルであるならば、「何が良い解決方法だったのか、考えると中々難しいですね・・・」というオチになると予想されるのではないか。少なくとも私は、昨秋、初めて『どうすればよかったか?』の予告をYouTubeで観た時に、そう思った。しかし観てみると、その予想は裏切られる。「どうすればよかったか?」という設問に対する解法は、何ら難しいものでは無く、かなり明確な回答が引き出せるものであると多くの観客は思うのではないか(少なくとも私はそう思った)。そして制作者自身も、そのように考えていたと類推される。しかし、そのような単純簡単な解決がなされなかったことに絶望させられる。以下、『どうすればよかったか?』の絶望ポイントベスト3。

【ベスト1】25年間統合失調症だった(と思われる)「姉」が2008年に精神科に通院し始めると、たった3か月で服薬により症状が改善するところ。これが通院したとしても改善するのに何年もかかる病気だったら(制作者や観客は)もっと救われていたと思う。マジで「病気かな?」と思ったら、周囲の目など気にせずとっとと病院に行った方が良い(経験者談)。
【ベスト2】映画の最後で、制作者から「姉」を何故病院に行かせなかったのかを質問された「父」が、「母」がそれに反対したからと答えたところ。制作者はその約20年前に「母」に対して何故「姉」を病院に行かせなかったのかを質問したところ、「父」がそれに反対したから、と答えたことを観客は知っている。制作者もおそらく、過去の映像を編集中とのことだったので覚えていただろう。「父」はおそらくそのことを知らない。鏡像的な答えを行う「父」と「母」。互いに空気を読みあって行動することにより、本人達は最適解と考えられている状況が、第三者視点では最悪解になっているという絶望的な状況が現れている。
【ベスト3】「姉」の葬式で、「父」が「姉」の人生は<ある意味>充実したものだった、と弔辞で言っているところ。「父」自身は(そして「姉」死去時には「母」は亡くなっているが、「姉」存命時に「母」も同趣旨のことを言っていた。だから「母」自身も)現実から目を逸らし続けた結果、本当に「姉」の人生は充実したものだったと思っているところが絶望させられる。

この映画が良いのは、統合失調症含めた精神病は「それはそれで<ある意味>充実した人生である」というどっちもどっち論に逃げていないところ。映画の最後で100歳近い「父」に対して制作者が詰問する箇所は、「父」が上述の答えをしたことについて、制作者がはらわたが煮えくり返る思いだったことが明瞭に伝わってくる。そこでは「過ぎたことを責めてもしょうがない」「死んだ人について『どうすればよかったか?』を問うよりも、目の前にいる100歳近い「父」を大事にしよう!」等という一般論では回収できない、制作者の「姉」に対する情念(愛、とも云うらしい)が存在し、素晴らしい。

#補論①:この映画は家族一般にあまり適用出来ないと思う。この様な問題が生じるのは私の祖父母の世代(1920年代生まれ。「父」は私の父方の祖父とほぼ同年齢)と、私の両親の世代(1950~60年代生まれ。「姉」は私の母とほぼ同年齢)間であり、その前後の世代にこの映画で描かれているような問題が生じるかは疑問に思った。
#補論②:それまでは50歳近くであるのに、20代のように美しかった「姉」が、薬を服用して統合失調症の症状が治まると、年齢相応に老けていくのを見て、「白痴の美」というものは確かにあるのだと思った。